ユーコとルーキー  お盆とは、霊達が公然と動き出す時期のことである。  日本全国に数え切れないほど存在する霊は、"墓地"という小さく区分けされたコミュニティに所 属している。  東北地方の南端にある小さな墓地に所属する若い娘霊――本人は「ユーコ」と名乗っているが、 十中八九仮名であろう。  ユーコは活発な霊だった。お盆になると、枷が外れたかのように手足をこれでもかとブンブン振 り回して散々はしゃいだ。少々はしゃぎ過ぎて、福島民報の12面辺りに"異常"だの"奇妙"だの、 いかにも怪しげな形容詞がくっ付いた見出しがほとんど毎年載っかってしまったりしていたが、 ユーコは霊なのでそんなことはお構いなしだった。  そんな幼いユーコだが、実は所属する墓地の中では一番の古株である。今年で霊250年目を迎 えた。 「ユーコちゃんは元気だぁ。なぁ、ヨシミ婆さんよぉ」 「んだない。大方おだって肥溜にでも落ちたんだばい」  井戸端ならぬ墓端で茶を啜りながら語る爺ちゃん婆ちゃん霊だが、ユーコから見ると二人とも子 供みたいなものだったりした。  そして今年もお盆がやってきた。 「おらっしゃぃやァああァァァ!!!」  もはや原型を留めていないが、かつて墓が存在した場所から今年もユーコは復活した。目はギン ギンで、落ち着かない様子で左右をキョロキョロ見ている。そして指で一本生えている竹をビンビ ン叩いた。 「グヘヘヘヘ……今年ァ何をしでかしたろかいな……やったるぞぉ……やったるぞぉ……!!」  よく分からない使命感によく分からない方言で、ベテラン霊ユーコは走り出した。  ――が、急停止した。  墓地の境界線で、子供が膝を揃えて座っていた。顔を手で覆っていて、どうやら泣いているよう だった。髪の短い子供。  おや、とユーコは思った。見たことがない、新入りかと。  コミュニティの長として、新人には色々教えてやらにゃ――ユーコに、割とまともな使命感が生 まれた。 「どうしたんだい、坊や」  ユーコは、出来る限りの優しい声で子供に話しかけた。しかし子供は無視。ひたすら鼻を啜り続 けていた。 「分からないことがあるんでしょう? 辛いことがあるんでしょう? お姉ちゃんに訊けば一発よ う。お姉ちゃん、こんなん見えても霊250年目のベテランだからねえ〜」  ガン無視。気持いいくらいの徹底無視。  笑顔引きつるユーコ。青筋立つユーコ。 「ええいっ、ボケぇ!!」  ユーコは地を出して、子供の手を無理やり引いて、逆方向に走った。 「寂しいんなら泣きつきゃええやろ! 素直さのないガキャ嫌いやねん!! すぐに皆に会わせた るからなぁ……! 意地でも馴染ませたるからなぁ……!!」  ユーコは霊っぽくない霊である。色々な意味で"若い"霊である。しかし若さは時に道を切り開く 力ともなる。多少強引にでも、若さは抉じ開けて行く。 「ちがうのー」  ――若さは、時に誤る。  ユーコが良かれと思ってした行為は、実はちっとも子供のためになってはいなかったのである。 「あたしわぁ……おとーさんとおかーさんにぃ……えーん……」  子供は泣き出した。ユーコは、ここでようやく子供が女の子だったことを知る。そして、失敗し たと思った。  仲間に会うとか、新たなコミュニティに馴染むとか、そういうことを、この子が望んでいただろ うか――望んでいるわけがない。この子はその段階まで来ていない。  ユーコは、かつての、ルーキーの時の自分を思い出していた。 「…あたしも、泣いてたなぁ」  宝暦8年。「ジャスコ」のルーツである「篠原屋」が創業された年。ユーコは川で溺れて死んだ。 当時から男顔負けだったユーコは、男の子達でも出来なかった"川登"に挑戦した。泳ぎには絶対の 自信を持っていたユーコだったが、穏やかな川に騙された。前日の大雨で、上流の方はかなりの増 水となっていた。しかしユーコが泳ぎ出した時点ではまだ下流の方までは影響が生じていなかった のである。程なくして、鉄砲水に呑み込まれてしまった。  数日後、土左衛門として発見され、両親によって手厚く埋葬されたのが、唯一の幸運だった。墓 という拠り所に繋ぎ止められたユーコは、霊としてある意味で生き永らえることが出来たのである。  ユーコは、毎日泣いていた。  まだ、両親に別れを告げていない。  自分の口で、直接。  言いたい。どうしても。  感謝の念を、悔恨の念を。  ――しかし、両親は遺体さえ見つからず、霊にすらなれなかった。ユーコの死ぬ原因となった雨 から僅か一ヵ月、それ以上の、稀に見る降雨量の大雨がその地域に降り注がれた。堤防整備のまだ 未熟であった時代、ユーコの両親を含めたとても多くの人達が、洪水の魔の手に落ちた。  ユーコは、両親に思いを告げることが出来なかった。  そのことを、思い出した。そして、同時にもう一つ思い出した。 「…なあ、ガキんちょ」  時が過ぎれば、泣くのを止めるだろう。そして気丈に振舞おうとする。自分の弱みを隠そうとす るのは、人も霊も同じなのかもしれない。  だけど――この子は、ルーキーだ。  子供の髪をくしゃくしゃにしながら、ユーコは言った。 「会いに行こうか?」  お盆とは、霊達が公然と動き出す時期のことである。 「…可哀想に」 「まーちゃん、まだ五つだったって? 自転車で転んで頭打って……コンクリートは、怖いねえ… …」 「つい最近、補助輪が外れたばかりだったそうだよ。隆君も、幸子さんも、さぞかし無念なことだ ろう……子供の成長が、死に繋がるだなんてね」  子供――麻美の両親は、親類縁者の小さな同情の声を、右から左に流していた。今は同情など、 何も感じはしなかった。ただ、最愛の我が子を失ったことへの悲しみ、それだけが心に満ちていた。 無限の喪失感に対処する方法を、何も見つけられずにいた。  意味もなく点けられていたテレビには、どうでもいいニュースキャスターが何の感想も持てない 内容のニュースをただ垂れ流していた。  ユーコと麻美は、テレビのすぐ真横にいた。 「…いいかい? あたしが合図したら、喋りなね」 「てれび?」 「そう、あんたの声が乗る」 「そんなこと、できるの?」 「ふっふふ……ナメんじゃないよ。あたしが何年霊やってると思ってんのさ? "こいつ"が生まれ る前からさね!」  部屋には、麻美の両親のほかにもう一人、親戚のお婆さんがいた。ユーコはお婆さんの耳元で、 何度も囁いた。 「湯を捨てに行け湯を捨てに行け湯を捨てに行け湯を……」  何度も繰り返し言ううちに、お婆さんはよっこら立ち上がった。 「ちょっとお湯捨ててくっから」  お婆さんが部屋から出た。両親だけになった――  いけっ。 「…あれ」  まず、父親が反応した。テレビの音が急に消えた。 「…放送事故かしら」  母親が、そう呟いた。お互いに空虚な声だった。 「……………うさん、おかあさん」  両親は、固まった。  信じられない、そんな様子だった。  だって、テレビのスピーカーから聴こえてきたのは、紛れもなく。 「きこえる? まみだよ。おとうさん、おかあさん、きこえる?」  道理も何も、今は全てどうでもいいとばかりに、両親はテレビに飛び掛って行った。 「麻美か!! 麻美なのか!?」 「ああ、麻美!! そうよあなた、麻美の声だわ……ああ、そうよ、確かに麻美……まみの声だぁ ……」  両親は、共に子供みたいに泣きじゃくっていた。二度と聴けないと思っていた、愛娘の声をもう 一度聴けたのだから、無理もないことだろう。 「なかないでぇ……かなしくないんだよ。だってあたし、ここにいるもん。らいねんだって、その つぎだってね、あえるよ。それでいつかねぇ、またいっしょにいれるようになるの」  両親は、一瞬思ったかもしれない。  "今すぐ死ねば、また麻美と一緒にいられる"―― 「でね、"おとうと"か"いもうと"がいるといいなぁって……あたしとおとうさんとおかあさんで、 そのこをまっててあげたいの」  両親は、思わず目を見合わせた。そして、互いにクスッと笑った。 「ああ、分かったよ、麻美」 「…でも、一つ心配」  母親が言った言葉の意味を父親も理解していた。 「…お爺ちゃんになっちゃってても」 「…お婆ちゃんになっちゃってても」  そして、同時に言った。 「覚えててくれる?」  麻美は、明るく即答した。 「あたりまえじゃん!」  両親は心底ホッとした顔になった。  ユーコは再び、麻美の隣に戻った。かなり疲れた顔をしていた。 「そ、そろそろキツいわ……テレビ強い……腕上げたわ、コイツ……し、〆て、早く」 「うん。じゃあ、そろそろもどるね! おとうさん、おさけのみすぎないでね!」 「…控えるよ……」 「おかあさん、"つうはん"かいすぎないでね!」 「…努力します……」 「じゃあ、またらいねんっ!!」  ――そして、テレビはまたニュースを垂れ流し始めた。  しかし、そこは今や虚無感に満ちた部屋ではなかった。  両親は"希望"を見つけた。それは、立ち止まっていた"人生"という長い道のりを、もう一度歩き 出す燃料となり得る類のものだった。  墓地に戻ると、麻美はすっかりよく笑う子供となっていた。ユーコにも、墓地の爺さん婆さんに もよく懐き、そして皆に愛された。  お盆の期間中、コミュニティの霊たちは、凄まじいエネルギーを発揮してハジけまくった。ハジ けすぎて、今度は一面に載ってしまった。"蛍ではない――闇に輝く謎の光"という、ミステリーチ ックな見出しで。  そして、お盆が過ぎるとまた元のとおりの静かな墓地となった。シーズンを過ぎ、例年なら誰も 訪れないはずのそこに、ある夫婦が顔を出した。その夫婦は、建立されたばかりの綺麗な墓にも関 わらず、ピカピカに磨き上げていた。  線香を焚き、備えた。  その時、隣の一本だけ立っている竹が、ゆらゆらと揺れた。竹は、手を合わせている夫婦の思い を読み取っていた。 (麻美。ちょっと考えてみてくれないか……名前……もし弟だったら……)  竹は、がさっと揺れて、隣の墓にちょんと触れた。まるで、耳をそばだてているように見えた。 そして、竹は今度は前に揺れた。葉の先が何度も地面に当って、跡が残った。  "わかんない"――その跡を、妻がちらりと見て、夫の腕を抓った。夫は痛がりながらも字に気付 き、恥ずかしそうに頬を掻いた。  しかし、妻もこう思っていた。 (麻美。妹ならどう? 男の子の名前なんて思いつかないだろうけど、同じ女の子なら……)  竹はまた揺れて、墓に触れた。少しして、竹は頷いたように前方に揺れ、先ほどの跡を掻き消し て、その上にまた跡を作った。 "美幸"  それを見て、夫も妻も微笑んだ。心なしか、夫の笑顔はちょっぴり残念そうでもあったけれど― ―