吉野桜  最初この地に引っ越してきた時、兄と弟は随分騒いでいた。  兄は「近くにコンビニがない。田舎だ!!」と不満を漏らし、弟は「虫おおくてイヤー」とぐず っていた。  私は、最初から好きだった。  両親は山での暮らしに憧れていた。どのくらい憧れていたかというと、通勤先まで片道2時間か かるのを厭わないくらいに。  半径500m以内に他に家はなくて、広々とした自然は私達の独占物だった。空気はもちろん綺 麗で、晴れの日に辺りを歩いているだけで心が躍った。  好きな季節は、もちろん春。  家のすぐそばに一本の巨大な桜の木があって、春になると桃色の花を咲かせた。私は、引っ越し てきた最初の日にこの吉野桜を見て、ここが好きになった。父さんと母さんは、私が桜が好きなこ とを知っていて、この桜を見つけたから、ここに決めたんだよ――そう言っていた。  それから私は、春を吉野桜と共にするようになった。  嬉しい時も、悲しい時も、私は吉野桜と共にあった。今は、そんな気がしている。  人を愛して、愛されて、裏切られて、裏切って――どんな時でも、吉野桜はただ、そこに在った。 風にさやさや揺れながら、ただ時を過ごしていた。  花が咲くと嬉しくなって、枯れると、また次に会える時が待ち遠しくなる。そうしてずっと、私 の時間はそんな風に続いていくと、心のどこかで信じていた。  16歳の時だった。  元々古い家だったので、全体的にガタが来ていた。父さんは業者に修理を依頼して、そのため私 達は用意された仮住まいに移った。ちょうど3月初めの頃で、私は吉野桜が咲いてしまうのではな いかと気が気でなかった。見に行くにも、何十kmも離れていてムリだった。  工事が終わって、家に戻ったら、吉野桜は影も形もなくなっていた。  東京の大学を選んだ。  それまで暮らしていた環境と180度違った、ゴミゴミとした街の中。心が荒んでいくのを覚え た。  腐った臭いのする公園にも、桜は咲いていた。私の心の中に残る吉野桜とはまるで違う花のよう に見えた。  あの山の、私の家のすぐそばにあった、吉野桜。  大好きだった、私の吉野桜。  1Kのアパートから見える、桃色の花たち。それらは皆乾いていて、どうにも味気なかった。  あの時、私は泣いていた。  どうしようもないのに、大げさに泣いていた。  泣いても仕方ないのに。泣いたって、吉野桜は帰ってこない。  一ヶ月前までは確かにここにあったけれど、今はもうない。  なくなってしまったら、不思議だけれど、もう幻みたい。  ささやかな思いがあった。  いつか、私が人と結ばれて、そして子供が生まれたら、一緒に、あの桜を見たい。ささやかだと 思っていた。そんな小さな、控えめな思いは、一生成就することがなくなった。 「さようなら」  ――自分でもおかしいと思うけれど、東京で桜を見て、私はやっと吉野桜にさよならを言えたの だ。  私は変わってしまった。変わってしまった私に、きっとあなたはそぐわない。  それでも、生は続く。私の時間は、あの頃思い描いたようには続かなかったけれど、それでも息 絶えるまで続いていく。それが、時間が続いていくということ。  だから、さようなら。