性と死  屋上で「死にてェ」と呟いた。横にいた神田は「またか」と言いたげな顔で俺の方を見た。 「いっつもそれな、お前」  そう。俺はいつもそんなことばかり言ってるし、思っている。だけどしょうがないじゃないか。  何を見たって、何を聞いたって、そうとしか思えないんだ。 「考えてみろって。お前超シアワセだから。毎日ガッコ来て、どーでもいいな授業でバクスイして さ。そんだけで生きてけてんだぞ? 休みはオナニーでもしてりゃいいし。それって考えようによ っちゃサイコーじゃん?」 「何か、バカにされてる気がするな」 「いやマジで。少なくとも来年までは飢え死ぬ心配もねーんだし――ま、オメーんちの親キッツい し、浪人なんやろうと思ったら追い出されっかもだけどよ!」  兄貴は公務員になった。姉貴は大手の出版社に就職してファッション誌とか作ってる。  二人とも、俺から見りゃチンカス以下だ。  怖い怖い、「人間」なんてモンでビッシリ埋まってるこの世界で、「希望」なんていうワケわか んねーウソ臭いモンを信じて毎日キッチリ寝て起きてるんだからなあ。  俺はゴメンだ、そんなの。 「なあ神田」 「なんだ? ウンコか」 「どんな死に方がいい? お前なら――」  珍しく、すぐには返事が返ってこなかった。「んー」と言いたげな顔で、笑って俺の方を見た。 「んなの知らねーよ! オレが考えるのは、どんな生き方をすっかってことだ。死ぬなんて考えな きゃ死なないんじゃねーの? オレらまだ高二なんだしよ」  事故で死ぬかもしれない。 「希望」を見つけられず「絶望」した奴に殺されるかもしれない。 「希望」がなくて人を殺してしまうかもしれない。たくさん。そして死刑になるかもしれない。  全て――他人に決められた死だ。 「人間」に「希望」が唯一あるとしたら、死を自分で選べるコトだ。  それだけだ。 「んー、とりあえず今オレがしたいイキ方は、となりの席の鈴木とどーしたらヤりまくれっかって ことだなー。鈴木とヤりまくれる人生を掴み取りてェ」 「清志郎だって自分で死を選べなかった」  フェンスを掴んだ。コイツは俺の生と死を別つ存在だ。  死の方へ向かう。俺は、自分で選ぶ。  ――何かが、俺の背中を掴んだ。  決まってる。神田だ……神田が俺を、生の方へ連れ戻した。 「――ただなあ、ザンネンなことに……鈴木は、どーゆーワケか、お前のコトが好きらしい」 「…だから?」 「オレはオメーが羨ましい。鈴木はオレから見て、天使みたいなコだぜ。オレが保証する! 中学 ン時からずっと見てきたんだ、分かるんだ」  神田が熱弁をふるっている。俺の方は、神田の口から「天使」なんて単語が出てきて、吐きそう だった。 「…一人だけでもいいから、心から信じられる人がいれば、それが「希望」になんねーか?」 「お前が鈴木のコト信じられるとしてもだな、俺にはムリだ。どーせ鈴木だって、見えないトコじ ゃウリとかクスリとかしてる、他と変わんないおん  ――その先は、言葉として産まれて来なかった。俺は神田の膝を腹に受け、ワケ分かんなくなっ て地面に崩れ落ちた。そして追撃、顎を爪先で蹴られた。頭を跳ね上げられて、仰向けになって倒 れた。舌を噛んだ。鉄の味が、口全体に広がった。  モノクロの視界の中、神田がコマ送りみたいになった。少しずつ、神田は屋上の出口に向かって 行った。ドアが閉まってから暫く後に、「バタン」と遅れて聞こえた。  動けなかったから、ただ空を見た。モノクロがカラーに戻ってきて、空が青いって分かった。相 変わらず口の中は血だらけで、空に向かってツバを吐いてみたら、それはやっぱ真っ赤で、当然そ のまま落ちてきて、俺の額を染めた。  人間、危機を迎えた時に性欲が増すってのは本当らしい。  俺は、鈴木なら頼めばもしかしたらやらせてくれるかもしれないとボンヤリ思った、だけど、そ れじゃシャクだから、となりの席の坂上にでも頼もう、と思い直した。アイツなら「一年間ノート 写させてやる」とでも言えばカンタンに開くかもしれない。アイツはそれが好きだから。  風が吹いた――そんな気がした。  俺は立ち上がって、口の中で舌を動かした。  血は、すっかり止まっていた。