純朴亭主と嘘吐き女房  そう遠くない昔、ある町に小さな一軒家があり、そこで純朴亭主と嘘吐き女房の夫婦が暮ら していました。  純朴亭主は、それこそ幼児のような一途さで嘘吐き女房を愛しました。嘘吐き女房が自分の 近くで息をしていて、話してくれて、何かをしてくれて――嘘吐き女房と一緒に居ると、それ だけで彼の心にはお囃子が鳴ります。常に祭りの中心にいるような高揚感を感じているのです。  嘘吐き女房は嘘吐きなので、純朴亭主にたくさんの嘘を吐きました。 「ひ弱なあなたの体が心配。精のつく犬料理を作りたいのだけど――」  純朴亭主の辞書に"疑う"という言葉は載っていません。ましてやそれが愛する嘘吐き女房の 言葉とあっては尚更です。純朴亭主は、近所の野良犬を一匹絞めてきてしまいました。 「野良犬を殺す元気があるのなら大丈夫ね」  嘘吐き女房は、そう言って野良犬の死体を裏庭に埋めてしまいました。  純朴亭主は、本当に嘘吐き女房を愛しています。もちろん純朴亭主も大人ですので、夜とも なれば嘘吐き女房と同衾したいと思います。純朴亭主から迸る欲求を感じ取ると、 「実家に電話をしてこなくちゃ。お母様が腰を悪くしてしまって、心配なの」  本当は一緒に寝たくて仕方がないのですが、純朴亭主は表面上笑顔で取り繕って、優しく嘘 吐き女房に手を振って送り出しました。彼は嘘吐き女房の両親に会ったことはありません。  ある日、ちゃぶ台に置き手紙がしてありました。嘘吐き女房の姿はありませんでした。  文面を見た瞬間、純朴亭主の辞書に"疑う"という言葉が記載されました。それからは、疑い 続けて、疑い続けて……嘘吐き女房は、手紙に唯一つの真実を残していったのです。なのに純 朴亭主は、それだけは信じられずに、そのまま独りきりで一生を終えました。