湖底親子 「上の様子はどうだ? あれから巡って八日だから今日は人間どもの休日だろう」 「ええそうです、とうさん。まったく、人が多くて、うるさくてかないませんよ」 「人間どもときたら、一寸ヒマな時間ができるとすぐここまで歩きにきやがる。あまつさえ普段で も鳥どもで充分煩いというのになあ」 「奴らの足音は地鳴となって水底のここまで響いてきますからね。迷惑なもんです」 「俺達のご先祖がこの湖に住み出したのは、人間どものいう江戸時代の頃だった。なぜこんな人に 囲まれた、底の狭い湖を居処としたのかはわからんがな」 「確かにボクもそこは常日頃から疑問に感じていますけど。なにしろ、立ち上がってしまえば湖か ら頭が出てしまうし、釣糸には度々引っ掛かってしまうし。だけど、今更ぼやいたところで始まり ませんし」 「そうだな……」 「そうです」 「それにしてもだ」 「はい」 「話は変わるが、お前今年で幾つだっけ」 「23です」 「そろそろ次の世代へ繋ぐことも考えなくてはならないぞ」 「それはどういう意味でしょう」 「決まってるだろう。交尾だよ」 「そういう言い方は少し下品なのでは……」 「どこが下品か。性交して子を生すのは、人間も我々も変わらん。それを次代に繋ぐというんだ」 「まあ、全く考えていないわけじゃあありませんけど……」 「誰かいい相手はいるのか? まさか人間ではあるまいな?」 「そ、そんなわけないじゃあないですか。バカなことを言わないでください!」 「俺の知り合いの娘もお前と同じで適齢期でな。猪苗代湖の子だ。実はそれとなく伝書鳥で話を通 しておったのだよ」 「はあ……え、それってまさか、縁談とかじゃあ、ないですよね」 「縁談に決まってるじゃねえか。猪苗代からこっちまで嫁に来てもらうのだ」 「それは……遠すぎやしませんか?」 「近い方だろう。せいぜい100キロくらいしか離れとらんし、隣県だしな。常磐道で一瞬だ」 「その子がここの環境に馴染めるかどうか、わかんないじゃないですか? 猪苗代湖は水深五十m 以上、それに引きかえ、こっちはせいぜい一mですよ。さっきも言ったけど立ち上がれば顔が見え てしまう、こうしてずっと寝転んでいなきゃならないんです。深い深い水の底で、静寂の中で生き てきた子が、こんな市街地の中心で……無理ですよ」 「無理かどうかはお前が決めることじゃない。あちらさんが決めることだろ」 「…そうですね。まあ、その子は断ると思いますけど」 「わからんさ」 「…ちょっと、南崖の方行って来ます」 「南崖? 洞窟のことか?」 「ええ。あそこに繋がる水路を見つけたんです……行って来ます」 「妄言を……そんなもの、あるわけがなかろうが」 「それにしても、また日が暮れるのが早くなったものだ」 「日が暮れて、そして夜が来て、朝が来る……」 「あいつは、苦々しく思っているかもしれないが……俺は、この浅い底から見る空が愛おしい」 「ここで生まれて、ここで生きて、ここで死ぬ。それでいいではないか――」 「…うさん」 「――ん。もう、朝か」 「ええ、とうさん。今日は静かな平日です。それより、これを」 「なんだ、この黒い塊は」 「ちょこれいとです。南崖の入口でもらいました」 「ウソだろう、誰からだ」 「…誰からでもいいじゃないですか」 「…食べ物か」 「ええ」 「ふん。なら、食べてみようじゃないか……」 「…どうですか」 「…苦いな」