某国  今日も雨だった。  雨音がひっきりなしにこの国を濡らしていっている。  何が言いたいのだろうなあ。  そう思いながら、僕は今日も下ろす。  さっき、雨に濡れながら、一キロ離れた国民共同畑から取ってきた、か細い大根を、だ。  そして、下ろした大根を、取りに行く間に炊いておいた僅かの玄米に乗せて、口にかき込んだ。  毎日、こんな風に始まり、終わる。  食べ終わっても、満腹にはならない。  というか、僕はもう満腹を忘れていると思う。  僕という人間の、設定が変わったに過ぎないのだろう。  空腹が、基本設定だ。  そして、それは、この国に棲む九割ほどの同胞も同じであるに違いない。  そう思えば、この飢餓感にも、耐えられないこともない――命が尽きるまでは。  許せないのは――  畑には、皆いる。  勿論、人はそれぞれ異なる。いかにも朗らかで、そこに存在するだけで周囲に暖かい空気を運ん できてくれる、まるで初春のような人もいれば、いつも硬い表情で、黙々と作業に従事する、極寒 もいる。  自分のことは客観視し難いものだが、歳の近い同胞から「お前は腹を空かせた犬のようだ」と少 しの嘲笑と、多くの親愛の情を込めて言われたことはある。それは多かれ少なかれ、僕だけでなく、 ほとんどの同胞達にも当て嵌まることだろう。そう言いたかったが、別に彼の言うことも誤りでは ないと認識をしていたので、苦笑いだけ返した憶えがある。  人はいいものだ。  僕は、人という存在が概ね好きだ。  こんなことを公言したら、まず間違いなく収容所行きなので口には出さないけれど、敵国の人間 達も、半分程度には好きなのだ。  同胞達のことは、九割は好きだ。  残りの一割は、まだ人間の出来ていない僕には、とても許容出来そうもない。  あれらは、鬼畜だろうと思う。  家に戻っても、誰もいない。  ただいま。  そう言ったって、何も返ってはこない。  それでも、無性にそう言いたくなることがある。  そしてそんな日には、棚の上で笑っている父と母の絵を剥がし、その二つの唇と、四つの目とに 触れる。  伝わっているのかもしれない。いないのかもしれない。そんな類の愛を込めて、そっと。  ――もし、二人が、まだ生きているのなら。  愛は伝わらない。  ――苛烈な労働に、憐れその命を散らしているのだとしたら。  伝わるだろう。否、伝わっていて欲しい。  使命を終えた魂は、朽ちた体から抜け出して、安息の地へ赴くのだという。  きっと、そこは。  この歪な国とは違い。きちんとしているのだろう。  それならば、僕の想いだって、きっと届いてくれるはずなのだ。  そうでなければ……救いがなさ過ぎる。  僕は、どうなる?  決まっている。死ぬのだ。いつかは、皆死ぬ。僕も、九割の同胞達も、一割の鬼畜も、敵国の裕 福で自由な人間達も。  でも――でも。  命には、濃度があるはずだ。  彼らは濃い。  僕らは、薄い。  働き蟻、働き蜂、僕ら。  僕らは、どうしようもなく定まりすぎている。  変われる幸せ、変われる不幸――  ――変われない、不幸せ。  それは、何事にも変えがたい、そんな種類の不幸せ。  もし、不幸になろうとも構わない。  願うよ。  この命が終わるまでに――  ――どうか、僕に。  僕たちに。  劇的な変化が訪れることを。  意識が、分散していく。  眠りが、暗黒の彼方より来訪するのが分かる。  それをはっきりと認識できるのは。ほんの一秒足らずだが、一秒足らず「も」あるのだ。  今のところは、僕の一日で一番幸せで、濃密な一秒足らずだ。