チルドレンズ  あぁ、暑ぃ。  こんな日はクーラーをガンガンきかせたい。だけど、それやると親父に怒鳴られっからなぁ…… いくら金がないからって、そんなに神経質になることないんじゃねえ? っていつも思う。つーか 金ないならまず競馬やめやがれってんだ。金がなさすぎて携帯すらもたせてくれない。クラスで携 帯もってないの、俺だけだ。そんなんで、高崎とも連絡取りづらい。どうしても、言っておかなき ゃならないことがあるのに。  高崎佳苗とは中学で出会った。  入学して同じクラスになって、特に意識もしていなかったけど、6月、俺に告白してきた。ビッ クリした。俺は小学生の頃に女の子と付き合ったことが一応あるにはあるけど、何もなく一ヵ月後 には自然消滅していた。二人で遊びに行ったことさえなく、何となく関係は終わった。つまり、俺 には恋愛経験なんてないも同然だったのだ。  だから、ビックリした。耐性ができていなかったから。  前回の経験から、俺は「関係は続かせようと努力しなきゃ続かない」ってことを学んだ。だから、 高崎とはできるだけ一緒にいるようにしようと思った。金はないから、できるだけ金を使わないよ うに、自転車で町を適当に走ったり、山でのんびりしたり、ドリンクバーだけで五時間潰したりし た。  こんなんで楽しいのか、と不安になった。だけど高崎は笑ってくれていて、その笑顔がなんか人 懐っこい感じでよくって、俺は付き合い始めてから高崎のことをどんどん好きになっていった。  付き合って一ヶ月と少し。夏休みに突入した昨日、俺は高崎と一緒にいた。オヤジは仕事で昼は 家にいない。ベッドの上で高崎とくっ付いた。女の子の匂いをあんなに近くで嗅いだのは初めてだ った。  ぶっちゃけ、俺は我を失っていた。 「痛い、いたい」  高崎の悲鳴が聞こえて、俺はようやく自分を取り戻せた。失敗した、終わった、もうダメだ―― 血の気が引いた。ここまで、上手くやってこれたと思っていたのに、キメのところで暴発しちまっ たんだ。自分で自分を何度も罵った。  初体験は初体験に成り切れず、途中で終わってしまった。俺は高崎の頭を撫でながらひたすらゴ メンと繰り返していた。  高崎は鼻を啜りながらも無理矢理作った笑顔で怒ってないよと繰り返した。涙で潤んだ瞳で。  俺はバカだ。  ゴメンゴメンゴメン、そんな言葉を何度繰り返そうが、その場を取り繕っただけ。真剣な言葉じ ゃない。高崎に嫌われたくないという、そんな自分本位な心から出てきた、偽者だ。  本物の言葉を、俺はまだ高崎にぶつけていない。そしてその言葉は、俺と高崎の距離をもっと近 づけてくれるはずだった。というか、そうならなければ、俺は高崎とはもう付き合えない。  お母さんは昼間ずっと家にいるの。だから、家じゃ二人っきりにはなれないよ――そう高崎は言 っていた。  どうしよう。会いたくて会いたくてたまらない。だけど、俺には携帯がない。高崎の家の電話番 号なら連絡網で調べられるけど、母親が出ちゃったらどう説明すればいいのか分からない。高崎の 携帯、訊いておけばよかった――  俯いていると、ピンポーン、と音がした。  チッ、という音が部屋に響いた。俺の舌打ちの音だった。さっき来たのは新聞屋、その前は公共 放送。今度はなんだ? カルト宗教か? サイフはあと2時間しないと帰ってこねーっての。 「はーい、集金なら今サイフいねーからおことわ……」  そこにいたのは、疲れた顔した汗だくのおっさんじゃなかった。夏なのに白い顔の女の子――高 崎だった。  言葉より先に手が伸びた。背中からグイッと、家の中へ呼び込んだ。 「高崎……俺、お前に――」 「綾瀬くん……あたし、あなたに――」 「言いたいことがあるんだ!!」 「言いたいことがあるの!!」  あまりにも、そろってしまった。時間が止まってしまった。  とりあえず、高崎には上がってもらった。そのまま部屋に入れてベッドに座ってもら――おうと した時、ギリギリ思い出した。シーツに、血がついている。高崎の血だ。見たらヤな気持になるだ ろうと思って、掛布で覆い隠した。それから高崎を部屋に招いた。  …参った。  高崎も、俺に言いたいことがあるという。正直、考えが悪い方向にしか転がっていかない。別れ 話しか、思いつかないぞ?  俺はこう言いたいんだ。確かに、俺はいけないことをした。だけど、あれは、高崎のことが本当 に好きだからこそ、やっちまったことなんだ。もちろん、だからってしでかしたことを肯定するわ けじゃない。悪かったと思っている。でも、強く思うんだ。頼む。許して欲しい。ずっと、一緒に いたいんだ――って。こう、高崎に向かって言ってやりたいんだ。  高崎が、口を開いた。また、俺の血の気が引き―― 「ゴメンなさい」  …なんで?  謝るのは、俺のほうじゃないか。無理矢理、拒んでいたのに、無理矢理、俺はお前のことを…… それなのに、なんで高崎は謝っているんだ? 「最後まで行けなくて、あたしが怖がりで、ゴメンなさい……」 「…謝んなよ」  紛らわせたくて、テレビをつけた。高校野球の、県予選が。 「あたしが悪いの。だって、あたしだって――ううん、あたしのほうが、綾瀬くんとああなりたい って思ってたから……望みどおりになりかけてたのに、それを壊したのはあたしなの。だから、本 当に、嬉しかった……嬉しかったから、余計に、悲しい……」  俺が何も言えないでいる間に、高崎は続けた。 「あたし、ダメなの。あたし、エッチなの。一緒にいるときも、離れてるときも、ずっと綾瀬くん のこと考えてる。性欲が強いの。綾瀬くんと色々してるとこ想像して、その度、色んなとこがウズ ウズするの。変態なんだ……あたしは」 「…なんだ、同じじゃん!」  え、と高崎は言った。俺はわざと元気そうに言った。 「俺だって、疼きまくってんだ。ぶっちゃけ、高崎とヤりまくりたいわけですよ。夜はそう妄想し てオ……ま、まあ、つまりそういう気持が前に出すぎたから、昨日はあんなことになっちまったわ けだよ――本当、ゴメンなっ!」 「ううんっ、あたしが悪いの! あたしが臆病で……」  俺の口の中で、高崎の「んっ」が響いた。俺は高崎を抱いて、高崎もやがておずおずと俺の背中 に手を回してくれた。高崎の心臓が、どくどくと震えている。抱き合っていると、どくどくがとく とくになってきた。気持が落ち着いてきたんだ。俺と抱き合ってると、高崎は落ち着いてくれるん だと分かって、無性に嬉しかった。 「…もしも、本当に俺に悪いと思ってるんなら――」  口を離してからすぐ、俺は意地悪そうに言ってみた。安心しきっていた高崎の顔が、また引き締 まった。 「…俺、スゲー安心したんだ。最初は言葉で気持を伝えようとしたんだけど、そんな必要もないっ て分かって。そして、高崎も俺としたがってくれてたって分かって」  やさしくする。  性急にコトを為さない。  やさしく、ゆっくりと。  高崎を味わう。 「…痛くない? 昨日の今日で」 「うん、大丈夫……昨日、綾瀬くんが途中でやめてくれたおかげだよ」 「そうか、傷は浅かったか……てことは、またあの痛みを味わうんだぜ?」 「…あたし、耐えるっ」 「…ウソだよ。きっと、今日は大丈夫」 「うん」 「やさしくするから」 「うんっ」 「好きだ」 「あたしも、好き……」  初めてが高崎でよかった。  きっと、本当に好きな女の子と初めてを迎えられる男は少ない。  これは幸せなことなんだ。  昨日、できなくてよかった。  昨日の高崎より、今日の高崎のほうが好きだから―― 「…あー」  満足した。苦い経験は、甘い経験へと裏返った。雨降って地固まる。終わってみれば、そんな風 なオチがついたってことだ。 「…寝てら」  すやすや寝息を立てている高崎は、反則的な可愛さがある。いつか、何年後か分からないけど、 毎日こうして一緒に夜を過ごせるような関係になる。いや今夕方だけれども。それはともかく絶対 に。いや、するとかしないとかじゃなく。いてくれると、安心するんだ。もしいなくなったら、心 の一部分が欠けてしまうような気さえしてくる。  高崎は、もう俺にとってそうなりつつある。 「…ひゃっ!」  幸せな気分でいたところに、不意の乳首舐め。これは効く。 「おまっ、寝てんじゃねえのかよ!?」 「まだ眠くないもーん」 「いや、そこは空気読んで――って、まだ夕方だもんなあ……夕方……ッ!?」  俺は全裸なまま、飛び起きた。時計! ごごごじ! はん! オヤジ、帰って―― 「たでえまー」  オヤジはいつも、5時半きっちり帰ってくる。幸せすぎて忘れてた――! 「たかさきっ」  俺は小声で、高崎の耳元に囁いた。 「とべっ」 「えっ、え?」 「とんでくれっ!」  ていうか、投げた。俺は高崎を窓から投げ捨てた。高崎も全裸だったが俺には時間がなかった。 パンツもブラもその他なんやかや、まとめて全部ぶん投げた。 「おう充彦……どしたぁ、素っ裸で?」 「いやァ、死ぬほど暑いわ今日。あー、汗掻きまくり……」  次の日、高崎に往復ビンタを喰らったのは言うまでもない。